出産とともに仕事をやめ、和歌山に越してきた。
圧倒的に、孤独。
広がるのは、赤ちゃんと私、二人だけの世界だった。
仕事から帰ってくる旦那さんだけが、私の唯一の話し相手。
赤ちゃんとのお出かけは当然「赤ちゃんが行ける場所」に限られる。
支援センターや公園、小児科。行く先々で私は「ひーちゃんママ」「お母さん」「ママ」と呼ばれる。
「こちらにお名前をお書きください」と言われ
自分の名前を書くと
「あ、息子さんのお名前です」と苦笑い混じりに訂正される。
そんなやりとりが何度も繰り返された。
次第に私の名前は「ひーちゃんママ」に上書きされ、「タナカミサキ」と呼ばれることはすっかりなくなった。
私はもともと、型に収まりつつ社会に上手く適合しながら自由に生きてきた人間だ。
絵の個展を開いたり、SNSで気になった女の子に声をかけて写真を撮らせてもらったり、モデルをしたり。色んな「私」を面白がって生きていた。
だから自分は子どもが生まれても「子ども一直線」の人間にはならないと思っていた。
けど子育てというのは本当にすごい、そうはいかない。いやそうはさせないという感じ。
もちろん、息子はたまらなくかわいい。
私を「お母さん」にしてくれたことに心から感謝もしている。
でも子育ては、私からジワジワと個人名を奪い取り、ゆっくりと「何者」なのかを分からなくさせて、母親であることを強制してくる。
まるで千と千尋の神隠しのようだと思った。千尋が千になり自分が千尋であることを忘れかけたあのシーンと全く同じ。静かにいつの間にか洗脳されてる感じ。
私は自分のアイデンティティが母親“だけ”になることに激しい焦りを感じた。
私はこの静かな侵食に抗いたいと思った。
(続く)
